(十二)
貞治と弟子達が延命地蔵尊を彫っている間に気候は冬から春へと移り変わっていた。山で炭焼きやきこりしていた村人達は里に下って麦田や桑畑の手入れに追われ、田植えの支度をする季節を迎える。その前に、村中総出で入会山(いりあいやま)の下枝払い、粗朶採り、下刈りと共同作業を入会山を何日も行う。入会山の松や杉の木の手入れをしながら粗朶、落ち葉集め、腐葉を集めてくる。集められた粗朶や落ち葉は村人達に配分される。粗朶は炊きつけにしたり、村の共同作業時の炊事用の燃料となる。下刈りされた枯草や集められた落ち葉、腐葉は、田や畑の肥料となる。共同作業で得た落ち葉等の肥料の材料は麦の間や桑園に溝を掘り埋められる。農業を営む人達にとっては重労働ではあるが田や畑の土が落ち葉や枯草、腐葉の養分を吸い取って肥えるので欠かせない年中行事であり生活に必要な権利である。田や畑の土が肥沃になれば農作物の収穫も多くなるから村人達は揃って採取に山に入る。これを「苅敷(かっちき)」と人々は言っていた。苅敷で得た材料は直接田畑に敷き込まず堆肥にする農家もある。それには田や畑の隅に堆肥場を作っておき、厩に落ち葉を敷き、 馬に踏ませ、馬の排泄物と混ぜて堆肥場に運び出す。地主で農地をたくさん所有している家では屋敷内に大きな堆肥場があって、馬に踏ませた落ち葉等を積み上げ、人糞をかけ、上に土を置いて完熟させてから田畑に運び出し、掘割に埋め土をかけておく。直接埋め込まれた田も、堆肥にして埋め込まれた田も、田植えの前の田鋤きの時、土の中に鋤き込まれる。「苅敷」が終われば田畑の草退治に明け暮れる春から初夏の季節となり麦刈、田植えとなり、一年中休む間もなく働き続ける山村の人々であった。
苅敷作業で村中総出の日も、海岸寺の細工小舎はノミの音が消えていた。その頃、貞治の彫り細工は一瞬の油断も許されない微細な細工になっていた。鼻の長さは顔の長さと調和しなければならない。唇は、上唇が鼻の頭の位置を中心にして相似に、それに合わせて下唇の位置が極まり、唇の厚さ、盛り上がりが彫り出される。一分でも石を欠けば取り返しがつかない。ノミも何種類のものを使い分け、玄能も数挺用意されてあった。地蔵の円頂の円みもほぼ終わり、白毫(仏の額に入っている円形のもの)を彫り込みはじめた。白毫と眼は地蔵尊像の生命となる。
貞治は精魂をこめて彫り続けていた。籐兵衛たちは手を休め、棟梁の手の動きをじっと見ていた。半刻ほどで右目が入り、続けて左目が入った。貞治は木賊の束を取り上げ眼と白毫に磨きを入れた。しばらく遠くから眺めていたが、
「これで良し。あとは光輪の文様と蓮の花だ。そのあと砥ぎ出し、磨きだな」
蓮の花と言うのは蓮台のことである。ひと休みしていると桃渓がやってきた。地蔵に眼が入れられているのに気づくと礼拝、合掌した。
「これは凄い!今までに見たこともない。」
と相好を崩して喜んだ。
「今少しじゃの、貞治どの」
と貞治に向かって言った。
「はい、光輪の文様を彫り込み、磨きをかけます。蓮台も荒彫りを籐兵衛がしておいてくれましたので仕上げ彫りです」
「そうか、実はの、今月二十四日までには仕上がるかの。村人の耳は速い。地蔵の日に開眼供養をするともう噂をしている。伝兵衛が言ったのかな。」
「間に合うでしょう。細工は間に合っても、安置する場所はどこですか?」
「おお、それじゃよ。やはり観音堂東側が良いと思っているがの。観音の慈悲も地蔵の福徳も詣でる人にとってはどちらも欲する心根じゃ」
「場所はよろしゅうございますが、持ち上げるに人手がかかります。」
「伝兵衛、庄左衛門さんたちと相談してみよう」
桃渓は願王の庄左衛門と観音講の世話人の伝兵衛のところに出かけていった。伝兵衛の家は庄左衛門の家より一丁ほど手前なので、桃渓は伝兵衛の家に先に寄った。丁度、庭先で伝兵衛は野菜の手入れをしていた。野良着姿のまま桃渓と伝兵衛は連れ立って庄左衛門の家に行った。庄左衛門は桃渓と伝兵衛が二人でやってきたので最初は何事かと思ったが、二人を座敷に招き入れ、桃渓の話を聞いて顔をほころばせ、おいちに妙高を呼びにやった。「ここの所、無沙汰をしておりましたが、そんなに細工が進んだのですか。早く拝見したいものです」
妙高が入ってきた。挨拶を交わした時、桃渓は妙高の顔色が冴えないのに気づいた。庄左衛門があらまし妙高に話した。合掌しながら、父の話を聞いた。
「もう、仕上がるのでございますか」
と聞き返した。妙高は身が引き締まる思いがした。貞治への思いが急に心の中で頭をもたげた。去年の暮れ、貞治の願いで薄着の着物を羽織っていたにしても女の露わな姿を臆面もなく貞治の前に曝け出した記憶が生々しく蘇ってきた。今は孤閨の身、女のもの悲しい寂しさに身が引き裂かれる思いを幾度か重ねた。時には眠れぬ夜をまんじりともせず臥所の中で身を縮め、暁方になってからまどろむ日々もあった。仏門に帰依し、心の安息を会得する時まで長く苦しかった。先立った人たちを供養することで女を忘れ、女の情念を振りほどいたと自身思っていたが、妙高の心の片隅に女は棲んでいた。
・・・若しあの時、わたくしは思いを遂げた、いいえ、あなたさまに抱き締められる思いを遂げさせて下さったとしたなら、今のわたくしは・・・と妙高は桃渓、伝兵衛、父の庄左衛門の話を途切れ途切れに耳にしながら畳の縁を見ていた。黒蟻が一匹、触手を動かし、立ち止まり、またせわしなく歩いてどこかへ行った。
「妙高、お茶の支度を」
庄左衛門が妙高に声を掛けた。妙高は会釈して立ち上がった。眼まいがした。間もなく妙高とおいちが酒を運んで来た。
「良い香りじゃの、このお茶は」
桃渓は冗談を言いながら、妙高の顔色をみつめた。なんとなく生彩を欠いていた。客たちに茶をすすめながらも妙高は心の中で自らに囁きかけていた。
・・・あの時、あれで良かった。あの方は私を女から再び救って下さった。・・・
妙高の頬に紅がさしてきた。伝兵衛が観音講中のいきさつを桃渓と庄左衛門に話しているので妙高の耳に入った。
「開眼供養の日を二十四日と決めて、触れを早く回しておきましょう」
と伝兵衛が言った。
「どうじゃな、願王は庄左衛門さんの所の妙高さんじゃ。貞治どのは仕上がると言っているので二十四日としよう。安置する場所は、観音堂の東脇にしたいにじゃが、人手がいると思うがの。」
「馬車で曳けば楽です」
伝兵衛の所には馬車があった。
「この家にもあるから、二台で、人足は作男たちを一日使えば、十人ぐらいで良いかな」
と伝兵衛が言った。庄左衛門も馬車と作男を出すことにした。おいちが徳利を盆の上に載せて運んできた。今年の正月から家事見習いで庄左衛門の家に住み込んでいる。桃渓が、
「おいっちゃん、娘らしゅうなったの。慣れたかな」
「おかげさまで」
おいちは顔を赤くした。
「開眼供養に必要なものは」
と庄左衛門が桃渓に聞いた。
「村人たちに来ていただくのでな、お祭りじゃ。おんなし(女子)にも炊き出しを手伝って貰うことにもなりそうじゃの。一切は伝兵衛さんにお願い申す」
世話人の伝兵衛が開眼供養の大方を取り仕切ることに決まった。桃渓と伝兵衛は準備に取り掛かる手筈も打合せ、庄左衛門は願王、妙高の父として、願王の後見となり伝兵衛に手伝うことになった。妙高が織物を一反持ってきた。
「延命地蔵さまのお召物ということで」
と一同に見せた。浅黄色の絹地、高価な絹織物である。
「地蔵さまにお似合いじゃ」桃渓は手にとって感心していた。
(十三)
細工小舎は石の粉で一杯だった。陽の光がし込んで石の粉埃が空気中に浮いているのが白く見える。音兵衛、善左衛門は手拭いで鼻、口を被って木賊、砥石を使って最後の磨きに掛かっていた。与左衛門は貞治が朱点で印をつけた所を仕上げノミで削り取っていた。光輪の文様も彫り込まれているから九分通りの仕上がりであるが、地蔵の頭と顔の部分だけ仕上げは残されている。それは貞治の仕事である。
音兵衛は木賊の束を揃えながら、善左衛門は砥石の面を砥ぎ出しをして、二人は細心の注意を払って磨きをかけていた。貞治は籐兵衛に蓮の葉の彫りを教えていた。肉の厚み、反り、円味、切り込み等である。籐兵衛の腕の良さと人間味が貞治をして技術の奥義の伝授をと思い、厳しいが詳しく手を取って教え込んでいる。時々、与左衛門の方に来て磨きのこつを教えた。
「棟梁、磨き具合を観てください」
貞治は籐兵衛の蓮弁の切り込みを見ていたが音兵衛の声を聞くと像の方に来た。与左右衛門の削りもほぼ終わっていた。
貞治の点検が始まった。遠くから、又近寄り全体の姿を観察し正面・背面・側面と何回も繰り返していた。手に朱筆を持っている。わずかな盛り上がり、線の乱れが発見されれば丹念に朱を入れていた。朱点は見えるか見えないかと思われる位の小さな点である。地蔵の五指の指の太さ、曲がり、宝珠の形、錫杖の握り具合、着衣の襟から裾までの線等、それは細かに調べている。もう、ノミは使えない。研ぎ出し、磨きで修正しなければならない。眼で見て、指先で撫で、納得しない箇所があれば何回も同じ事を繰り返して慎重に朱点をいれていた。点検が終わり、音兵衛に磨きの要領を、善左衛門には像の面と砥石の面との角度、力の入れ具合まで指示する。時には自らが砥石を使って研ぎ出しをした。与左衛門には木賊束、砥石の手入れを言いつけた。与左衛門は道具類の手入れに非凡な腕を持っている。
海岸寺の周囲の山々はもうすっかり緑におおわれ、陽ざしも初夏になっていた。開け放した細工小舎に涼風が吹き込む。身体中汗ばんでいるので風が仕事をしている人たちにとっては馳走だった。石の切り出し、真冬の運搬、寒中の荒彫りから始まって延命地蔵尊もまもなく仕上がりかけてきている。貞治の業の冴えと弟子たちの協力の賜ものの地蔵である。妙高の願いが一本一本の線、点に籠められてた。蓮台、基壇のすべてが仕上がった。
開眼供養の三日前、朝早く貞治はいつもより丹念に水垢離をとった。そして着衣もさっぱりしたものに着替えた。その朝の勤行には桃源和尚に「延命地蔵経」の読経をお願いした。延命の十徳と言われる経文である。延命の十徳とは、地蔵を信仰すれば、女人泰産、身根具足、除衆病疾、寿命長遠、聡命智慧、財宝盈満、衆人愛敬、穀米成熟、神明加護、証大菩薩の十種の福徳が具わると言われる。多くの人たちがこの世に生を授かり、生活を営む以上、誰しもが望む福徳である。
勤行が終わり、軽い朝食を食べ、細工小舎に入った。地蔵像の前に坐り手を合わせた。
・・・・本朝は、お顔の仕上げを致します。・・・眼、鼻、上下口唇、耳、そして白毫、
磨き上げればすべて整えられ、仕上がるように微かに盛り高に彫ってある。木賊束、刷毛、砥石、それにノミ、玄能、すべての道具は昨日用意しておき、今朝、浄められた。香を焚いた。香の煙が立ち上がり、地蔵尊の顔をかすめ立ち昇っていった。弟子たちも今日は他の仕事を休み、棟梁貞治の至芸を学びとるため、仕上げの手伝いに身も心も浄めて立ち会った。貞治の右手が動く。止まる。籐兵衛が刷毛を渡す。左手で何回も何回も撫で返す。美しい眉から鼻に線が仕上がる。唇は今にも開かれて説法するかのような形に整えられていった。弟子五人の意気はぴったりと合っている。厳粛な一瞬一瞬であった。貞治の指先は神業のような鋭い感覚を持っている。長い石工の修練の業である。毛一筋薄紙一枚の違いも探り当てる。「極上細工」と言われる彫技の奥義は「業の究極」である。言わば、右手の働らき、左手の動きを統御した頭の働きの具現であって、五感の助けを借りての精神の集中の所産であると言えよう。仏教典の言う「業」とは生きるものの行い、行動であり、心の働きを指している。行為・行動そして言葉は心の働きから発する。善悪も虚実も怒りも悲しみ、喜びも 全ての人間の持つ「業」の姿であると説いている。貞治は石工として長い経験の中で人の心の動きに対応する自らの心の動きを仏典から師の願王和尚から学び、彫技に遷し変えた。遷し変えながら、苅敷の草や落ち葉が田畑の養分となるように人々から人生の養分を吸収したのである。貞治の「業の冴え」は、業の世界から自らを開放した「心・技・体」の一致の極点でもあった。
その日の夕刻早く「延命地蔵尊」の彫刻の全ては終わった。簡単に桃渓和尚の手によって彫り終わりの儀が行われた。明日は安置場所への運搬の日である。五人の石工はその晩、久しぶりにくつろいで夕食をとり、身体の汗を流した。
朝早く荷馬車が二台やって来た。庄左衛門の馬車には縄、菰、米俵二俵が積まれてあった。馬の口取りは源助だった。庄左衛門はアカに鞍をつけ乗ってきた。伝兵衛も作男を連れてやって来た。屈強の若者たちだった。馬も働き盛りの若馬である。作業の手始めは地蔵本体の菰被せから始まった。桃渓が庫裏の寝所から薄い布団を持ってき来た。地蔵は布団巻きにされ、その上から何枚も何枚も菰を被せられて縄で厳重に縛られた。万一の用意である。蓮台も基壇も同じように梱包された。角材を切って地蔵の座木を作った。太い丸太で三つ又を作り滑車が結わえつけられ、菰被りの地蔵は吊り上げられ、荷馬車がその下に引き込まれた。庄左衛門の馬車である。伝兵衛の馬車には蓮台が乗せられた。基壇は四人の若者が四天で担ぐことにした。四天とは天秤棒の二本を交叉し四人で担ぐことである。先ず四天の基壇が裏参道を出て海岸寺峠を登り、山道から観音堂脇へ行く順路を登った。馬車二台には吊り上げようの三つ又にする松丸太、途中で車輪が柔らかい道にはまり込んだ時に使う菰や板を積んだ。庄左衛門がアカの手綱をとった。馬車曳きの若馬の先導役である。馬は先頭の馬に 随う習性を持っているので老齢であっても利口なアカが先導馬として選ばれ連れてこられた。
四天の若者たちが出発して後続の馬車二台が出発する頃、村の女たちが十人ほど来た。炊出しである。今日の食事は勿論、明日の開眼供養の酒食の準備でもある。伝兵衛が手際よく世話をしているので万事うまく事は運んでいた。
「旦那さん、間に合ってよかった」
源助の妻女とおいちが背負籠を背負って足早にきた。
「お中入り(おなけえいり)を持ってきやした」
おなけえいりとは、朝・昼・晩の食事以外の間に食べる簡単な食事のことである。
「ありがとうよ」
源助が二人の籠を受け取って荷車に結わえつけた。貞治は荷馬車と一緒に登ることにした。
「兵糧が着いたか」
と桃渓がおどけた。
二台の荷車はゆっくりと先頭のアカの歩調に合わせて出発した。桃渓は伝兵衛に、明日の炊出しの準備の手配と商人たちが届け物を持ってくるのでそれを受け取ってから頃合いをも計らって安置場所に行くと告げてあるので女たちと庫裏の方に行った。女たちはガヤガヤ世間話をしながらゾロゾロ桃渓の後をついていった。四天の若者たちは息を弾ませながら一気に海岸寺峠を登ってしまった。荷馬車がゆっくり登ってくるのが木の間から見える。安置場所に一同が到着したのは朝四ッ頃だった。籐兵衛たち四人は基礎石を伏せ終わっていたので荷下ろし作業は思いのほか時間がかからなかった。一同がもと来た道を寺に帰りついたのは牛の刻過ぎで炊出しの女性たちが大忙しの最中だった。
(十四)
願王、妙高尼、「延命地蔵尊」は、浅黄色の絹布が掛けられていた。天候は晴れ、時々雲が西から東へ飛んでいた。集まった人たちは百人以上である。上津金、下津金は勿論、峠を越えた浅川、樫山からも人が集まった。開眼供養の祭壇には、四囲に青竹、縄が張られ色とりどりの色紙が吊され初夏の太陽に照らされ風に舞っていた。魔除けの色紙も作られてあった。定刻の朝四ッになると導師、桃渓和尚は緋衣、役僧は紫衣で祭壇の前に坐った。筵が敷かれ、参会者は各々が布団持参で席に座った。役僧は海岸寺の末寺から住職が来てくれた。僧の席の後に願王・妙高尼、そして貞治他四名の高遠石工、両脇に庄左衛門と伝兵衛が位置した。今日は開眼供養の日である。
開眼供養は導師、桃渓和尚の第一声で厳かに、晴れやかにとり行われた。妙高は尼らしく白絹の被りもの、清楚な着物で静かに坐っていた。唇に薄く紅を刷いていた。少しほっそりッしたせいか、美しさが目立った。読経、献香が終わり、いよいよ浅黄色の布が取り除かれる時となった。幼い男女が像の後へ布の両端を持ってゆっくりと引く、足から手、首、そしてお顔が現れた。まばゆいばかりの延命地蔵尊が現れた。
参列した人たちがどよめいた。今までに見たことのない荘厳ではあるが親しみ深い地蔵の顔を拝したのである。妙高はじっと眼を閉じていたが人々の驚嘆のどよめきで眼を開いた。思わず驚きの声が出そうになった。円頂黒衣の姿ではあるが妙高自身が座っていると思えたからである。延命地蔵尊が初夏の陽に映えて白銀色に輝き、裏山の緑が背景となって益々白銀色を浮き立たせた。
経は「延命地蔵経」が読経されている。三人の僧の読経の声が天に届け、地に響けとばかりに朗々と天、地に伝わり、ひときわ導師・桃渓和尚の声は透き通って響く。打ち鳴らす鐘、間断なく伝わる木魚の音、参会した老若男女は酔った。延命地蔵尊が我に話しかけ、我が手を握りしめ、願いを叶い届けてくれると信じた。信ずる心は読経に唱和することになった。参会者の唱和する声は天地をゆるがし、人々は我が身の幸福を体得した。経文の最後の一句、桃渓は高くそして低く誦した。鐘がひときわ高く鳴らされる。その余韻の間を縫って木魚の音が鼓動の如く単調に打たれていた。参会者の唱和が再びどよめきに戻った時、妙高と貞治が並んで焼香した。長い長い間、二人は肩を並べて瞑目合掌していた。
妙高の肩が小刻みに震えた。涙がとめどなく頬を伝わった。目頭を白い布でおさえた妙高が貞治が、焼香を終え降壇した。読経はその間、低く、ゆっくりと誦されている。
香の煙が延命地蔵尊を煙っていた。参会者のどよめきは、拍手に変わった。庄左衛門、伝兵衛、貞治の弟子たちは身を固くして焼香した。供養が終わると人々は延命地蔵尊の周りに集まった。そして伏し拝み線香を献じた。線香の煙はいつまでも延命地蔵尊を包んでいた。
(注)
当時の覚書として海岸寺には「仮供養緒色覚書帳」「石像観世音金銀出入覚」がある。記録されているものを抜粋してみると
(西国三十三番所)
石像観世音者文化中高遠石工三人にて十尊彫刻其後仏師石工定治郎相頼ミニ付極上細工三十三体相調ニ了タ
最初ハ御壱体彫刻料甲弐分ニ相定メ候所存外山出等工手間多分ニ掛ニ付雑用ハ
一、白米
一、味噌
一、焼木
一、炭
一、細工小屋三間九尺但シ屋根壁マデ
妙高は、「下津金妙高、石地蔵尊、石観世音」と記され、石地蔵尊(延命地蔵)石観世音は板東三十三観音の内第三十二番、(千手観世音)である。
閑話休題
延命地蔵尊開眼供養の宴は賑やかであった。願王が下津金在の妙高尼であったので伝兵衛は上津金、下津金両村にだけ触れを回しておいた。近在の浅川村、樫山村他の村に触れを回しておけば参会する人々、特に檀家は祝儀を出さなければならない。金額の多寡はともかくとして多くの人たちの「もの入り」は避けるようにした。だが噂はたちまち拡がって、浅川、樫山、小尾の各村々からも人が集まり、接待に大忙しになってしまった。手伝いに来た妻女たちは休む暇もない位で、顔見知りの妻女や娘が来ているとその場で手伝いを頼んだほどだった。妙高も接待の手伝いをしていた。源助のかみさんやおいちは体調を崩している妙高を庇うようにしたが妙高は聞き入れなかった。妙高は白銀色に輝く「延命地蔵尊」は時間がたつにつれ自分の姿だと思うようになった。それに気づいている人も何人かあった。勝手で「酢の物」「おはぎ」を作っている女たちの口からも洩れていた。
「あの地蔵さま、妙高さんに似ていると思わんけ」
上津金村の年取ったおばさんが急に大声を出した。
「小鼻の格好といい、肩といい、あたしゃ、そう思うけんど。昔から彫り師は頼んだ人に似せると言っているよ」
立ち働いている女性たちは返事こそしなかったがいちようにそう思っているらしかった。そんな声もちらほら妙高の耳に入った。おいちは嬉しかった。
・・・・妙高さまのお地蔵さまだもの、源助のおばさんもそう思ってるずら・・・・
宴の席は大騒ぎだった。上機嫌だったのは伝兵衛である。
「あの地蔵さまを見りゃあ、みんなもっと寄進してくれるら。おがめばご利益があるぞ。ほんでな、あとの百の観音さまぜひ祀りたい。定治郎さまやここにいる籐兵衛さんたちに彫って貰おうじゃないか」
伝兵衛は世話人として金銭の出入りを良く知っていた。それと海岸寺を栄えさせれば津金も良くなる。霊場をちゃんとすれば近在はもとより、遠国の人たちも必ずやって来る。人々の往来が多くなれば津金の村々は栄え、村人たちの暮らし向きも良くなる。伝兵衛はしう固く信じていたので今日の思わぬ賑わいは福音のように思えた。同じ思いは庄左衛門の胸の内にもあった。住職の桃渓はと言えば徳利を持ってあちこち回り談笑は宴の席を揺るがしていた。本堂にしつらえてある宴の席とは別に、境内では子供たちやら老人、若者たちの世界だった。時おり山鳩の鳴く声を聞きながら、「油揚げの煮つけ」「おでん」「にんじん、ごぼうの煮つけ」「甘酒」と思い思いの釜や大鍋からすくい出して語り合う風景が見られた。里の宿場駅では直ぐ手に入るものもこの津金の山奥ではなかなか手に入りにくい油揚げなぞは、村人たちにとってみれば最大の馳走であり、贅沢なものである。油揚げの煮ものはたちまち無くなった。この一日だけでも貞治と弟子たちが彫り上げた「延命地蔵尊」は村人たちに福徳と生きる喜びを与えた。集まった人たちは腹いっぱい馳走になった。
貞治は庄左衛門に酒を注ぎ今日までのお礼を言っていると妙高が来た。
「妙高さま、おかげさまで私自身納得する像を彫り上げました。ありがとうございました。これも仏のみ心、加護であると信じております」
と挨拶した。妙高は平静を装ってはいたが、心は波立っていた。貞治に何と言って良いか分からなくなった。黙って貞治の顔を見つめるだけだった。ようやく・・・
「わたくしもそう信じております。あの白銀の延命地蔵尊、きっと沢山の人々をお救いして下さると思います。そう祈りたいと思っています」
と言って、貞治の盃に酒を注いだ。おいちの声がした。おいちは音兵衛の前で真っ赤ににして酒を注いでいた。側の村人がおいちを冷やかしたので顔を赤らめたのだった。恋が芽生えたのかもしれない。
「こちらに御逗留なされている間、いつでもお出掛け下さい。何のもてなしも出来ませぬが」
妙高はそれだけ言うのがやっとだった。貞治は聞いているのだが心の中は妙高への感謝の念で一杯だった。
・・・・このお方のおかげかも知れぬ。願王師の言う「流れが固い」の意味の奥底をこの方から教わった。妙高さまは私の師でもある。・・・・
籐兵衛、与左衛門、音兵衛、善左衛門、四人揃って
「棟梁、おめでとうございます」
「妙高さま、おめでとうございます」
と貞治と妙高に延命地蔵尊完成の祝を言い、庄左衛門に
「ご丁寧な祝儀、ありがとうございました」
と頭を下げた、伝兵衛は四人の声を聞いて立ち上がったが、よろよろっとして笑われた。
「わしは、鼻高々だ。高遠からわざわざ来ていただき、貞治さんを始めみんなのおかげだ」
と酔ったせいか、いつもの伝兵衛とは違った言葉遣いだったが喜びの意味は並みいる人々によく分かった。夕陽が傾く頃、参会者は寺から帰りはじめた。炊事の妻女たちはその頃からしばらく賑やかだった。
延命地蔵尊の開眼によって貞治は近在に、「仏師石工貞治郎」として評判になったが、「極上細工三十三体ニ相調ニ了タ」と言われる通り「在外山出等工手間多分ニ掛ニ付」文化年中の観世音彫刻は西国三十三体で終わっている。世話人伝兵衛、住職の桃渓和尚の思惑通りとならなかったのが現実であった。住職の桃渓は一時中断しても、「板東」「秩父」の各霊場の観世音菩薩を加えて百観音にしようとする意欲は充分に持っていた。しかし経費の調達ははかばかしくなく、貞治たちに一時高遠に帰って貰おうとしていた矢先、江草の見性寺から地蔵像の依頼を受けた。貞治たちは江草の見性寺に移ることになった。「集雲山・見性寺」は、臨済宗妙心寺派であり、海岸寺と同宗の寺院であって本尊は地蔵を祀ってある。津金とは斑山(まだら)を隔てて東南の位置、塩川の流れに沿った所が江草である。貞治は江草村見性寺に移ることになり、海岸寺を出立した。途中、下津金の妙高の所に寄った。初秋の風が稲の穂をなびかせていた。妙高は臥っていた。延命地蔵尊の開眼供養以来、体調が思わしくなかった。貞治が来意を告げると妙高は布団を上げ香を焚いた。
「貞治さま、ごぶさた致しております」
妙高の声は弱々しかった。
「お加減が悪いと聞いておりましたが、お見舞いにも上がれずに今日になりました」
と、今から江草の見性寺に行くこと、妙高の寄進した西国西国三十三番観音、第三十二番千手観音像を彫り上げ、西国三十三観音だけ仕上がった等の話をした。裏の畑から秋の虫の音が聞こえ、話の合間にひぐらし蝉の波のように高く低く泣く声がもの哀し気に聞こえてくる。妙高の肩の円味は貞治が筆写した時から見れば肉が落ち力を失くしていた。
「それでは、おいとまします」
妙高と貞治は向かい合っていた。
「お大事に。江草が終われば海岸寺に戻って参ります。それまで・・・」
貞治は妙高の激しい愛を感じた。妙高は貞治が青く澄み切った空の彼方のお人だと思っていたが、その中に我が身がすっぽりと包み込まれていると悟った時、こんなに近いお人だったとはと思い、心の安らぎが全身に拡がった。妙高は貞治を見送ったあと、仏壇に向かって手を合わせた。涙が頬を伝わり落ち、いつの間にか噛み殺していた声が堰を切ったように嗚咽となっていた。
見性寺では「迦羅陀山地蔵大菩薩」を造像することになっていた。海岸寺の「延命地蔵尊」と略々同じ位の大きさのものと依頼されているので適当な岩石を見つけるのに手間取ったが、塩川の流れの中から選び出し運んで、境内の南隅に仮小舎を建て貞治たちは荒彫りをはじめたのがもう年の瀬も迫る頃だった。与左衛門と善左衛門は、その頃高遠に帰った。籐兵衛と音兵衛は貞治の仕事を手伝っていた。荒彫りが終わる頃である。一月末の寒い朝。貞治は水垢離をとり身心を浄めて朝の勤行に入ろうとした時、馬の蹄の音がした。二頭のようである。
「貞治さまはおりますが?」
聞き覚えのある声だった。源助の顔が蒼ざめていた。
「貞治さま、妙高さまが・・・」
と庭の霜柱の上に跪いて妙高の所に大至急来てほしいと嘆願した。馬をもう一頭曳いてきていた。貞治は支度をし、馬に乗り源助と見性寺から津金に走った。馬を走らせているので話は出来ないが妙高に異変があった事は確かのようであった。源助と貞治は下津金に着いた。庄左衛門の家は何となくざわめいていた。妙高は病床についていた。旬日余り前から具合が悪いと言って臥せっていたそうだ。息はせわしなかった。聞けば昨夜遅く妙高は布団が染まるほどに下血したとのことである。ここ二、三日様子がおかしいので、おいちが付きっきりで看病していた。夜中妙高に起こされたので見ると下半身が血の海で、血の匂いと異様な匂いが入り交じっておいちは気を失いそうになったが長年の女たちの手を借りて始末をし、今は少し落ち着いた状態で韮崎から医師の到着を待っているとのこと。大出血の後、時々、眼を開け、唇が動く、声にならないので、唇をおいちが見つめていると、かすかに、・・・貞治さま、地蔵さまが・・・と言っているのが聞こえ源助を江草に走らせ貞治に来て貰ったのである。
貞治は妙高の枕元に坐った。血の気を失った顔は白く、息づかいは荒かった。両手は胸元で合わされ、覚悟の姿だった。
「妙高さま!」
貞治は妙高の耳元でゆっくりと低声で声をかけた。二度、三度呼んだ。妙高が眼を開けたが焦点が定まらないのか、声の主を探しているようだった。貞治は妙高の手を握った。指先は冷たくなっていた。
「妙高さま・・・」
妙高は、声の主が誰であるの分かった。妙高は貞治に握られている手を、わずかであるが握りかえした。
「貞治さま、お先に・・・」
眼には貞治の顔が映ったようだった。涙が目尻から一粒、二粒と流れ落ちた。大きく息を吸った。下顎を二、三回動かした。妙高の息が、静かに絶えた。貞治は枕元の白い布を取って眼のふちに残っていた最後の涙の一滴を拭った。美しい、安らかな顔だった。医師は間に合わなかった。貞治は馬を借り見性寺に戻った。そして書状を認め、音兵衛に大至急諏訪温泉寺に行くように渡した。書状には妙高の死の委細が書かれていた。妙高の葬儀は導師桃渓のもとにしめやかに執り行われた。葬列の中には貞治がいた。貞治の書状を持って出立した音兵衛が諏訪から引き返して来たのは妙高の葬儀が終わって三日後である。貞治は油紙に包まれた願王師の返書を受け取り開封した。貞治の依頼した願王和尚の筆蹟が黒々と二枚の紙に、
「一弾指間、帰依此尊、脱三悪報、受勝妙楽」
「願王宗岳妙高大師下津金庄左衛門娘」と書かれてあった。
貞治は、「延命地蔵尊」を延命地蔵大菩薩」とし、願王師に筆蹟になる「讃」と妙高の戒名を基壇に深く刻み込んだ。折しも、津金の村人たちが苅敷の山仕事を始めようとしている時であった。