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西国三十三カ所石仏
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秩父三十四カ所石仏
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海岸寺は 石仏の寺であり 約150体ほどの石仏が境内に安置されており 訪れる人々の心を和ませてくれる。そのほとんどが 江戸時代後期に 高遠の名石工として名をはせた「守屋貞治」の手によるものである。
守屋貞治は 生涯に336体の驚くべき数の石仏を彫り残した。この海岸寺には その約三分の一を占める石仏が安置されている。貞治は 約8年の歳月をかけて彫像したというから これらの石仏は 貞治の精神的所業であったことを感じずにはいられない。
海岸寺の石仏は 既に名工としての評判を広めていた守屋貞治が その卓越した技量と情熱を注ぎつくした 当代一の「極上細工」の観音石仏である。石仏の魅力は それらが野ざらしであり 歳月によって磨かれた美が備わっていることである。初めて海岸寺を訪れて 貞治仏を目にしたときの 色彩鮮やかな感動!石肌を被う苔は 不思議な緑色を湛え 生き生きと繁茂して まるでビロードの衣のように頭や肩を飾っている。石仏は 野にあって 貧しい庶民の信仰仏として 里の人々と春夏秋冬 喜怒哀楽を共に暮らしてきた。風化に強い石だからこそ 素朴な郷愁を感じさせる野仏になり得て また究極な美しさが備わったのだと感ずる。海岸寺の石仏を一目見れば 貞治の石仏は 非常に端正な優しいお顔立ちで まだあどけなさが残る清らかな少女の如く 静かに瞑想にふけっておられる。この石のみ仏のなんという内面的な美しさ・・・単なる外見のみ華やかな人形の如き美しさではなく 精神的な凛とした美しさがそこにある。見る人の心を洗う力が備わっていることを 本当の「美」というのではないだろうか・・・
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十一面観世音菩薩
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六地蔵菩薩
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延命地蔵菩薩
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地蔵大菩薩
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如意輪観世音菩薩
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如意輪観世音菩薩
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千手観世音菩薩
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十一面観世音菩薩
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十一面千手観音菩薩
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聖観世音菩薩
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馬頭観世音菩薩
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聖観世音菩薩
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石工・守屋貞治について
これらの石仏を彫ったという 守屋貞治という人は いったいどんな人だったのかと 心をひかれる。
守屋貞治は 江戸時代後期の明和二年(1765) 旧・高遠藩藤沢郷塩供に生まれた。九歳の時に兄を 天明の大飢饉の十八歳の時に父を さらに二年後には妹を失っている貞治が 人生との出会の始から 暗い死との対面を相ついで味あわなければならなかったことは その後の進む道に大きな意味を持たせている。生涯に渡って 石仏を彫るということは 貞治にとっては 祈りそのものであったのかもしれない。後年は 石の中からみ仏が現れ給うと信じ 貞治の目には山から切り出されてきた石塊も ありがたい地蔵尊や観音菩薩に写っていた。貞治はただ み仏がそのお姿をこの世に現し給うまで 日夜ノミを打ち続ければよかったのである。貞治もまた 人生という大海に一人漕ぎいでた時に 後の上諏訪・温泉寺の住職となる願王和尚という 臨済宗の高僧に出合った。この願王和尚の教えと高潔な人格が貞治を高め 人生への指針を与えてくれたからこそ この素晴らしい貞治仏が生まれ 石仏芸術として開花できたのではないだろうか・・・
願王和尚に帰依した貞治は 雲水として仏道修行に励みながら 経典や儀軌を勉強し 仏の教えを修得して 石仏彫像にも生かした。二人の師弟関係は 暖かい信頼と尊敬の絆で結ばれていった。貞治は石工としてほとんど他国にあって 生家に身を安らげることがなかったため 妻子はあったが 現世的な幸せには恵まれなかったのではないだろうか・・・しかし この願王和尚に出会えたことは 貞治の幸福であったと思う。
海岸寺の貞治仏は 柔和な微笑みを浮かべている。その堂々とした温容は 人間のせせこましい小智を越えた無限の世界を讃えている。晩年は 眼病のためほとんど視力を失いながらも 手さぐりで彫像をつづけ 石仏師として情熱を注ぎつくした守屋貞治は 禅僧さながらに死を予期して大往生をとげたという。
享年六十八歳 天保三年の晩秋であった・・・