アヴェマリアのサイト(G・カッチーニ)
カッチーニのアヴェマリア


G・カッチーニのアヴェマリアサイトとしては とても充実したサイトです。
アヴェマリアのさまざまなmidiを ダウンロードできます。お楽しみください。

Ave Maria(G Caccini)

Ave Maria!

Ave Maria!

A...

Ave Maria!

Ave Maria!

Ave Maria!

A...

Amen

E

アヴェマリアをテーマに 4つの部屋を構成しています。
このコーナーで BGMに流れている全ての曲は
イタリアの作曲家 G(ジューリオ)・カッチーニの「アヴェマリア」です。
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カッチーニのMID
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マリアさまと名画
G・カッチーニのアヴェマリアについて


イタリアの作曲家 G(ジューリオ)・カッチーニ(1545〜1618)の「アヴェマリア」・・・。 その神秘的で官能的な美しさをもつ旋律は 聞き手を魅了します。フィレンツェのメディチ家に引き立てられたカッチーニは 当時人気のあったカストラート(去勢された男性歌手)のための官能的な曲を書きました。

「アヴェマリア」は とても大勢の作曲家が様々な趣向を凝らして作られてます。 それらの作曲家は シューベルト モーツアルト バッハ&グノー G・カッチーニ ビゼー ストラビンスキー サン=サーンス アルカデルト その他多数の作品があります。その数多きアヴェマリアの中で 最もダイナミックで官能的な旋律が G・カッチーニアのヴェマリアです。

このコーナーでは この心に響く名曲の旋律を 一人でも多くの方に知っていただこうと思い このコーナーを作りました。

カッチーニの前半生については ほとんど知られていないが ローマかティヴォリのどちらかで生まれ フィレンツェの彫刻家ジョヴァンニ・カッチーニ(Giovanni Caccini)と関連があるかもしれないとされる。ローマで彼はリュート ヴィオール ハープを習い 歌手としての名声を博しはじめた。1560年代 コジモ・デ・メディチが彼の才能に感銘を受け 若きカッチーニを更なる勉学のためにフィレンツェへ招いた。

1579年には カッチーニはメディチ家の宮廷で歌手をしていた。彼の声域はテノールであり また自分自身でヴィオールの伴奏を付けることができた。彼は婚礼や国事など様々な宴会で歌い 当時の壮麗なインテルメディオ(オペラの先駆の一つとされる 精密な音楽・劇・映像的見せ物)で役目を果たした。またこの時期に 彼は人文学者・作家・音楽家・考古学者達の活動に加わった。彼らはジョヴァンニ・デ・バルディ(Giovanni de' Bardi)伯爵の邸宅に集まり 失われたと思われている古代ギリシャの劇音楽の栄光を復活させようとする団体「カメラータ」を結成した。カッチーニの歌手・楽器奏者・作曲家としての才能によって カメラータはモノディ様式を確立し それはルネッサンス末期のポリフォニー音楽の慣習からの革命的な新発展となった。

16世紀末の20年間 カッチーニは歌手・教師・作曲家としての仕事を続けた。彼の教師としての影響力は過小評価されているかも知れないが 何十人もの歌手に新たなスタイルで歌うことを教えている。その教え子の中には クラウディオ・モンテヴェルディの最初のオペラ「オルフェーオ」の主役として歌ったカストラートのジョヴァンニ・グアルベルト・マグリ(Giovanni Gualberto Magli)もいた。
カッチーニは 加えて少なくとも1回 1592年にバルディ伯爵の秘書としてローマへ旅している。彼自身の著作によって 彼の音楽と歌は熱狂的な反応を得た。しかし パレストリーナとローマ楽派の本拠であるローマは 音楽面で保守的であり この地でのカッチーニの様式的先導に追従する音楽は 1600年を過ぎる頃までは比較的まれな存在であった。
カッチーニの人柄は完全に高貴といえるものではなかったようである。

彼はしばしば プロとしての生活だけでなくメディチ家での昇進においても 羨望や嫉妬に突き動かされていた。ある時 彼はフランチェスコ大公(フランチェスコ1世・デ・メディチFrancesco I de' Medici)に一組の愛人のことを伝えた―ピエトロ・デ・メディチ(Pietro de' Medici)の妻であるエレオノーラ(Eleonora)が ベルナルディーノ・アンティノーリ(Bernardino Antinori)と密通していたのである―。そして彼の報告が ピエトロによるエレオノーラ殺害を引き起こす直接の原因となったのである。カッチーニのエミリオ・デ・カヴァリエーリ(Emilio de' Cavalieri)や ヤコポ・ペーリとの競争は激しいものだったようである:彼はおそらく カヴァリエーリを1600年に行われたフランス王アンリ4世とマリア・デ・メディチの婚礼祭の指揮者の座から降ろさせた人物の一人であろうとされる(この出来事によって カヴァリエーリは激怒してフィレンツェを去った)。また彼は 自作のオペラ『エウリディーチェ』(Euridice)を 同じ題材で発表しようとしていたペーリの作品に先んじて印刷し 同時に彼のグループの歌手達に ペーリの作品の出版に一切協力しないように頼んでさえいたらしいのである。
1605年以降もカッチーニはアンティフォナなど宗教音楽の作曲や演奏で役割を果たしていたが 彼の影響力は衰えていった。カッチーニはフィレンツェで逝去し 聖アヌンツィアータ教会に埋葬されている。

「G・カッチーニのアヴェマリア」についての詳細

20世紀末レスリー・ギャレットやスラヴァのCDで一気に知名度が高まり 多くの歌手が録音し映画にも使われ 今やシューベルトやバッハ=グノーによる同名曲と並ぶ人気を誇る「アヴェ・マリア」であるが 録音も楽譜も90年代前半まで全く知られていなかったという奇妙な事実が有る。
まず出典が明らかにされていない。80年代以前の愛唱歌を集めたどの楽譜にも収録されて来なかった上 現在入手出来る出版譜は全て編曲を経た物でカッチーニの曲集には載っておらず 歌詞がただ"Ave Maria"を繰り返すだけという内容もバロックの様式とは相容れない。ジュリオ・カッチーニの作と見なす確たる証拠は発見されていない。
最初期の録音を列挙するとMaria Bieshu(1996) スラヴァ(1995)、イネッサ・ガランテのデビュー盤(1994) Lina Mkrtchyan(1990)とソ連のアーティストによる演奏が並ぶ。最も古いものはIrene Bogachyovaのもので1972〜74年の録音。この盤で共演しているソ連の音楽家ヴラディミール・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-72)が本当の作曲者とする説が有力である。ヴァヴィロフは自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあり 『アヴェ・マリア』も当初「作曲者不詳」で発表していたのだが ヴァヴィロフの没後十年を経てCD録音されたBieshuやイネッサ・ガランテ盤では作曲者が"G.Caccini"と表記され 楽譜などの典拠不明のまま伝播しジュリオ・カッチーニの作とされている。
「モーツァルトの子守唄」同様旋律の親しみ易さから有名になったが 以上のような事実はCDや楽譜の楽曲解説では言及が無く 一般的にはカッチーニ作品と認識されている。代表作であるはずの「アマリリ麗し」を差し置き 偽作が最も有名な作品のように仰がれる事態はアルビノーニ ヴィターリらとともに皮肉で 惜しまれることであるが 様々な歴史的背景から この名曲はG(ジュリオ)・カッチーニ作とすることがこのサイトの結論と致しましょう(苦笑)

2004.05.25By・管理人


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